2012年7月4日水曜日

7月の京都

ムシムシしますねー

ジメジメします。

今日は久しぶりの アンレイン(雨じゃないって事)

晴れ間はないが曇り空

スッキリしません。

京都の七月は・・・毎年



でも、

京都の七月は コンチキチン!



そう

祇園さんです!

長刀鉾



祇園祭は7月1日から31日までやってます。

もちろん宵山14日~16日 

山鉾巡行17日がメインエベントですね!








ここで祇園祭の起源の話。



その当事の全国の国の数を表す66本の矛を立て、

その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国のを祓い、

神輿3基を送り、薬師如来の化身・牛頭天王=スサノウノミコトを祀り

御霊会を執り行ったのが祇園祭の起源だそうです。



でも祇園祭が生まれた直接の背景は、さっき言った京都のジメジメといくつかの要素がリンクします。

平安京がもともとが内陸の湿地であったために高温多湿の地域であったこと、

建都による人口の集中、

上下水道の不備、つまり汚水と飲料水の混合などにより、

マラリア、天然痘、赤痢、麻疹など伝染病が大流行し

多くの人が亡くなりました。


またその原因が、

長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で

無実を訴えながら亡くなった早良親王ら6人の怨霊の仕業との

陰陽師らが言いだし

このお祭りができました。でも誰が・・

茅の輪くぐり 夏越の祓


さてみなさん



祇園祭では、

それぞれの山鉾で

厄除けの「ちまき」をいただきますが、






そこには、「蘇民将来之子孫也」

とかかれてます。

簡単に言いますと

このちまきを家の玄関にかざるとスサノオの災いから逃れられるという言伝えから、

この風習が伝わります。

『釈日本記』の『備後風土記』から伝わるようです。





むかし、むかし、あるところで、神スサノオさんいました。

ある日泊まる宿がなく困っておりました。

スサノオは、ある裕福な巨旦将来さんの家に行き宿を求めましたが、

巨旦将来さんは、「食べ物もなければ部屋もない」とスサノオを追い払いました。

そこでスサノオさんは、巨旦将来の弟、蘇民将来さんの家に立ち寄ったところ、

蘇民将来さんの家は貧しいながらも、スサノオさんをこころよく迎え入れました。

スサノオさんは、そのお礼に

「蘇民将来の子孫」と書いた茅の輪を門前に飾れば難を逃れられると約束しました。

その後、蘇民将来の家は代々栄えました。が

兄の巨旦将来の家は、災いや疫病により子孫は絶え滅びてしまいまいした。

おしまい!


つまり、これで

こ門前に茅の輪の伝説が伝わり、

祇園祭の「ちまき」の風習となったわけです。


荒ぶる神スサノオさん・・怖いです。

ちょっと今日は お勉強しました。

でも、この話

遠くはなれた国のお話に酷似します。


イスラエルの「過越祭」

次回はこの話を・・たまにはね

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